1992年発売のデビューアルバム「DRY」はかなりの衝撃だった。
重く暗い雰囲気の曲に、クールなポーリー・ジーン・ハーヴェイの切ない声や、悲痛な叫び声がマッチして独特の音楽世界がそこにはあった。

ヴェルヴェット・アンダーグランドやドアーズのようなちょっとサイケがかった感じから、ジミヘンやハウリンウルフのようなブルースっぽい雰囲気までを個人的には感じる。

だけど私が一番ハマッたのは何よりポーリーのギターである。
日本人には思いつかないようなコード進行や譜割。

とても斬新だった。

PJハーヴェイは1969年生まれのポーリー・ジーン・ハーヴェイ(Vo,Gu)を中心としたトリオ編成のバンドだ。


Dry

デビューは1991年でシングル「Dress/Water/Dry」が英インディレーベルから発売され、その後2枚目のシングル「Sheela-Na-Gig/ Hair /Joe」をリリース後に、上記で書いたように「DRY」でデビューすることになる。(ここまではインディレーベルからのリリース)。

なお、アルバム「DRY」にはシングル「Dry」は未収録でセカンドアルバムに収録されている。

 

 


Rid of Me

そして、1993年にセカンドアルバム(メジャーデビューアルバム)「RID OF ME」をIslandレコードよりリリースする。(上記の画像)
このアルバムはニルヴァナの「イン・ユーテロ」のプロデューサーである「スティーブ・アルビニ」との製作である。ポーリーはスティーブ・アルビニがプロデュースしたピクシーズのアルバムが気に入ってて依頼したようだ。

ちなみにカート・コバーンはPJハーヴェイの「Dry」が大好きだったそう。

このアルバムは「DRY」を更に過激にしたような音で、歌詞も女性のドロドロとした部分やエロティックな情念、さらにはサディズムな感覚をもち、当時はかなり話題を呼んだ記憶がある。ポーリーのギターワークもさらに磨きがかかり前作よりぶっ飛んだ音を出している。


TO BRING YOU MY LOVE

サードアルバムの「To Bring You Love」からは、PJハーヴェイ名義ではあるが、実質ポーリのソロ活動となる。内容は情念的な歌詞は益々過激に、音もブ厚い。
個人的にはちょっとしんどくなって、ポーリーはあまりギターを弾かなくなり、彼女のギターが大好きだったこともあって、ここから聴かなくなってしまった。

さて、PJハーヴェイは、「RID OF ME」をリリースした後に初来日している。確か93年だったと思うがもしかしたら94年かも。
と、考えていたら懐かしいチケットの半券が出てきた。93年でした。

pjlive
場所は渋谷ON AIR。
会場は満員までは行かないがたくさん人がいた。
私はポーリーのギター(グレッチ)を生で聴けるということで、相当興奮していた。曲は1枚目と2枚目からのセレクトだった。全て知ってる曲だった。
登場してきたポーリーは、ブルースリーが死亡遊戯で着ていたような全身タイツみたいな服装で、(柄は豹柄だったかな?)凄くかっこよかった。デカ女かと勝手に決め付けていたら、実際はかなり華奢で細く、抱えていたグレッチがとてもデカく見えた。

アルバムがかなり重く緊張感のある内容だったので、ライブもさぞかし緊張感のあるものになるだろうと予想していたのだが、、、全然違った。

演奏中は物凄い緊張感があるのだが、1曲終えるごとに、はにかんだ笑顔で手を振ったりと、なんだかとても愛想がよかった。
なんかとてもお茶目な女の子だった。
ライブ途中に、最前列にいたお客さんに、ポーリー持参のカメラを手渡し、メンバー3人で記念撮影をしてもらったりして、なんだかとても温かいライブだった。

それにしても圧巻はやはりギターの音だった。

このころのポーリーのギタースタイルは、静かな部分はほとんどアンプの生音で、盛り上がるところでファズを目いっぱいかけるのだが(この当時は恐らくBig Muff deluxe。もしかしたらCORNISHのoctave fuzzも使っていたかもしれない)、これが物凄い音圧+爆音なのである。アンプはマーシャルかオレンジのどっちかだったが忘れた。

私はポーリーの轟音ギターに鳥肌が立ちっぱなしだった!彼女のギターはテクニック的には対したことないと思うが、センスが素晴らしく一聴しただけで彼女のものとわかる。ギターもグレッチ・ブロードキャスター以外にもテレキャスやファイアーバードなども使用している。

と、まぁ、私が観たライブでは1・2を争う位に衝撃的な体験だったので、3枚目以降のPJハーヴェイにはあまり興味が持てないのである。
でも20年経って冷静になった今は全てのアルバムを聴きたいなぁ。と思ってる。