Mariani バイオグラフィー
Marianiは、あのエリック・ジョンソンが本格的に活動を始めた初のバンドです。(当時若干15歳!)
バンドはテキサス州オースティンにて1969年に結成。
1968年にエリック・ジョンソンが13歳のときに加入したSounds of Lifeのドラマーが脱退することになり、新たなバンドを結成するため、テキサスでは有名な敏腕ドラマーのヴィンス・マリアーニに声をかけ、ジャムセッションを通じ知り合うこととなります。
そのころのヴィンス・マリアーニはジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスのドラマーで、脱退したミッチ・ミッチェルの後釜になれる可能性があったため、オーディション用に「Pulsar / Boots」というドラムソロのみが収録されている曲を録音。
しかし、地元のレーベル「Sonobeat Records」のオーナー、ビル・ジョジー・シニアがヘンドリックスのバンドに入るより新しいバンドを作りなさいよと説得します。
実はこのSonobeat Recordsは、あのジョニー・ウインターの初アルバム「The Progressive Blues Experiment」をリリースしたレーベルなのです。
ちなみに「The Progressive Blues Experiment」はインペリアル・レコードが原盤権を買い1969年に再リリースしてます。
なのでレーベル・オーナーとしては2匹目のドジョウを狙っていたのでしょう。
悩んだヴィンス・マリアーニはジョニー・ウインターの説得もあり、新バンドを結成する方向性に決めます。
そして、1年前に知り合った若きギタリストのエリックに声をかけます。
ベースはボブ・トレンラードという地元の敏腕ベーシストに決まり、バンドはいくつかのデモ音源を録音します。
オーナーのビル・ジョジー・シニアはエリックのギターにぶったまげたそうですよ。
そりゃそうでしょう。15歳の子供が弾くギターじゃないですよ。あれは。
トリオ編成となったバンドはすでに界隈では超有名人だったヴィンス・マリアーニの名前をそのまま使うことになります。
Mariani(マリアーニ)の誕生です。
1969年にヴィンス名義のドラムソロを収録した「Pulsar / Boots」をリリース。
ベーシストのボブは「Pall Rabbit」を結成するために脱退。
代わりにジェイ・ポドルニックがボーカル&ベースで加入。
1970年にマリアーニ初のシングル「Re-Birth Day / Memories Lost And Found 」をリリース。
そしてフルアルバム「Perpetuum Mobile」の録音が始まります。
アルバムは3日で録音が終了。
初のアルバムはプロモーション用として100枚をプレスします。
しかも100枚すべてにサイン入り。
ヘヴィでサイケなこの名盤は残念なことに正式なリリースがなく裏名盤となってしまったのです。
バンドもウヤムヤのうちに自然消滅。
エリックはその後「The Electromagnets」を結成。
ジャズ寄りのアプローチをみせるようになります。
エリック・ジョンソンってジェフベックからの影響が相当大きかったのでしょうね。
ルックスもベックに似ていますし(笑)
Mariani アルバム・レビュー
さてさて、バイオグラフィーが長くなってしまいましたが続いてレビューします。
もう少しのお付き合いをお願いします。
1970年当時はプロモオンリーだったので白地になにやら文字が描かれているものです。
こちらはAkarmaから再発されたCDで、ボーナストラックとしてシングル曲2曲が収録されています
なおイタリアのAnthologyレーベルから1992年にリリースされたCDにはテキサスでのライブがボーナストラックで6曲収録されています。(シングル曲は未収録)
ヘヴィなブルース・ベースのリフを基本としたサイケ/ハード・ロックの名盤ですね。
とにかく荒くてSIR LORD BALTIMOREに通じるものがあります。
アルバム全編、ギター弾きまくり、ドラム叩きまくり、ベースブイブイいい過ぎぃ。な仕上がりです。
バラードとか一切ありません。全曲やかましい。
強いていえば、スローブルースな4曲目の「Lord, I Just Can´t Help Myself」が一番静か。
隙間さえあれば、ファズかかりまくりのギターを縦横無尽に弾きまくる若干15歳のエリック・ジョンソン。
若さ大爆発です。溢れ出る衝動を抑えられないといったご様子。
アルバム終盤はヴィンス・マリアーニのドラム・ソロがたっぷりとフューチャーされてます。
これ、どうしてメジャーからデビューできなかったんだろう。
うるさすぎたのかな?