私がThe M(エム)に興味を持ったのは日本ロック大系の浅野孝巳さんのインタビューを読んでからだ。(下の写真はACB出演時の60年代のエム)エムが結成されたのは60年代中頃。最初はトリオ編成だったというから当時の日本のロック事情を考えると驚異的だと思う。
そして浅野氏が加わったのが67年位。GS全盛時代だったがエムは事務所に所属することもなく、レコード会社からのデビューのオファーも全て断っていた。
浅野氏いわく、「アンダーグラウンドが好きでミーハー的なのは嫌だった」から。
初期の頃から音にこだわる本格派だったようだ。
ところでギターのテクニックのひとつ、「チョーキングを日本で初めて始めたのは誰か?」というテーマがあるが、エムの浅野氏かダイナマイツの冨士夫さんなど諸説あるようだ(皆、オレが最初と言っている。。。)が、共通して言えることは、外人によるバンド「ザ・リード」のギタリスト「マーク・エルダー」の真似を始めたのが最初らしい。
恐らく、この頃のトップ・ギタリスト達がほぼ同時期にマークのギターを目の当たりにしたのであろう。(ちなみにここで言うチョーキングはブルース系のチョーキング+ビブラートのことである。)
The Mは1972年に唯一のアルバムを発表しているが、(録音は1971年)これは、中島貞夫監督による映画「性倒錯の世界」のサウンドトラックがA面、B面はライブで定番の曲が収録されている。
A面の日本語オリジナルナンバーもアレンジもきめ細かく素晴らしいが、やはりB面が凄い!
私がエムの存在を知った頃、CDの再発はされていなかった。たまに中古屋で発見するエムのレコードは安くても3万円位と、とてもじゃないが買えなかった。なのでCD化された時は本当に嬉しかった。
このアルバムだけでも嬉しかったのに、「1972 LIVE AT新宿」という、当時のライブ音源が発売された! オリジナルナンバーの「時はいまここに」や B面に収められているカバー曲を、生々しい未加工のThe M本来の音が聴けたのだ!
「凄いバンド」という噂は当時を知るおっさんから色々と聞かされていたが予想以上に凄かった。M3の「TIGHTEN UP」なんて鳥肌ものだ。同時期のニューロック系のバンドはハードロック寄りの音を出していたのが多数だが、The Mはソウル系の演奏を得意としていたようだ。
これは私の推測なのだが、メンバーの嗜好もあるが、The Mはハコバンの仕事をメインとしていて、当時のハコはソウルが一番ヒップな音楽で需要があり、その辺りの事情もあるかと思う。
ちなみに「1972 LIVE AT新宿」でのメンバーは以下の通り。
垂水孝道(ヴォーカル)
浅野孝己(ギター)
垂水良道(ベース)
西哲也(ドラム)
川崎雅文(キーボード)
外道の加納秀人氏は短期間の間だったが、The Mのメンバーだった。
この証言が面白くて、浅野氏によると、「サイドギターのオーディションで来た。一応ひと月だけ使ってみることになったが、カッコばかりつけて弾けない。だからひと月でクビにした。」となってるが、秀人さんによると、「The Mのリーダーとしてバンドに入ってくれと頼まれたけど、オリジナルナンバーもないのにレコーディングするっていうから、そんな曲も作れないバンドはやらないって辞めた」と言っている。
一体、どちらの証言が正しいのか。謎は深まるばかりだ。
The Mは1973年に解散する。
メンバーはその後、浅野氏は後にゴダイゴを結成、垂水兄弟はイエローを結成、西氏はファニーカンパニー、川崎氏はカルメン・マキ&オズへ参加と、メンバー全員がその後も日本のロックの重要なバンドのメンバーとなっている。
私は知り合いのおっさんに、イエローがムゲンに出演した時の音源をもらったのだが、これまたすごかった。音的にはThe Mの延長にある。
このおっさんは当時、ムゲンに入り浸っていて、どでかいラジカセを持参し堂々と録音していたという。
お店も別に注意することもなかったらしい。
おっさんの記憶によると、とにかくドラムのジョニー吉長のドラムが素晴らしく、ルックスもかっこよくて憧れたそうだ。なお、違うおっさんの話によると60年代は「ザ・エム」70年代は「The M」と表記するんだよ。とのことなので(本当かなぁ)この教えに倣うことにしました。